直木賞と芥川賞の二人の作家の文章を読んで

直木賞と芥川賞に決まった2人の作家の文章が心に響いてきた。
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京都新聞2015年1月23日朝刊に載っていた直木賞作家の西加奈子さんと芥川賞作家の小野正嗣の2人の文章が良かった。伝えたいことがはっきりとあり、それを文章や本という形で伝えることに希望を持っていて、それを実践している確かな手応がビシビシと伝わってきた。
西さんはデビュー2作目、「さくら」がベストセラーになった時に、何万部単位で増刷されていく本のゆくえが実感できずに恐怖を感じたという。その後書店回りをして書店員さんと会うことでその恐れが消えたという。
「私の本は化け物に呑み込まれてゆくのではない。こうやって本を愛してくれるひとりひとりの書店員さんの手から、ひとりひとりの顔のある、未来の読者に手渡されてゆくのだ。私はそのときはっきりと、自分の本が売れる、ということを理解した。それは血の通った、人間の行為だった。」
そしてインターネットで簡単に本が買える時代だけれども、「やはり本屋さんに行ってほしい。」とうったえる。一冊の本との出会いは、時に人生を変えることだってある、自分の世界が開かれていくことだ。

小野さんは大分県のリアス式海岸の小さな集落に育ったが、その郷里の風景が変わってきたこと郷愁をもって振り返りながらも、こう書く。
「山が削られ海岸や河岸が埋め立てられ、道路が整備された。しかし僕には「自然が破壊された」と無邪気に慨嘆する権利はない。バブル期に田舎の中高生だった僕は、まさにあの無際限に続くと思えた快適さと利便さの恩恵にあずかって成長したからだ。テクノロジーは全能性への幻視を生む。」
そんな生い立ちを背負った人間として、文学の営みを相対化しつつ自己の文学的信念を語る。
「小説を読むのは、「快適さ」とはほど遠いネガティブな暗いものを、フィクションというクッションの力を借りて受けとめることなのだ。
辱められ傷つけられながら、たとえ尊厳を回復できなくとも、それでも「人間」であることだけは手放すまいとする小説の人物たちの姿に触れて、揺り動かされ活性化された想像力は、僕たちの心を、まなざしを、必ずや自分の足元に向けさせる。そして僕たちは、自分の生きる土地に同じような物語があることに気づくのである。作家の書いたひとつの土地の物語が、読者一人一人の土地の物語と重なり、つながる。」

この2人の言葉に共通することは、出版というマッスなコミュニュケーションではあるけれども、作家が、読者ひとりひとり心の営みに目を向け、自分自身も一人の人間としての営みの本質のような部分に立ち帰ろうとしていることだ。

私も「時を重ねる家」と称して住宅を設計させてもらっているが、「時を重ねる」ということの意味について、あらためて思いを巡らせた。住む人だけでなく、素材や部品をつくったり売ったりする人、それを現場でつくる人、そしてデザインする自分、それぞれの時間がレイヤーのように多様に重なりながら、ひとつの住環境ができているのである。だからこそ、のっぺらぼうのいうなつるっとした捉えどころのないようなものや空間をつくってはならず、そこにいる人間、一人一人のなかに生起するその場所のイメージや居心地に思いを巡らせることが大切なのだと思います。
by craftscience | 2015-01-23 10:58 | 本・映画・音楽


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